2008/12/10

我那覇 和樹

他人事として見るには最高の愉しみである入れ替え戦が今日と土曜にあるわけだが、
その両方に忘年会を入れてしまうとは何事か!>俺
しかも両方とも幹事だから抜けるわけにはいかない!
もうちょっと考えたほうがいいな。人生を。
(以上、挨拶)



「更新間隔が空く」と言ったその舌の根の乾かぬ内になんですが、
なるべく早く書くべきだと思うので、
我那覇和樹という選手について私が思うことを書いておきます。



・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆



2004年から応援を始めたヌルサポの私にとって、
「我那覇和樹」という選手は既にスタメンの座を確保した選手だった。
だから「ボールを持っても後ろ向きにしかドリブルできない」「キープもできない」「シュートは宇宙開発」という時代は知らない。
セッキーに鍛えられて、ゴーヤゾーンと呼ばれた得意のゾーンからのシュートなら入る、でもそれ以外はあまり期待できなくて、ジュニからのパスもそんなに来ないという選手だった。



それが、逆ゴーヤゾーンという技を身に付け、ヘディングシュートも身に付け、次第にジュニからのパスが来るようになっていった。
調子を落とすと、すぐにジュニからのパスが来なくなるんで、分かりやすいというか、微笑ましいというか。
そしていつの間にか「あれ?我那覇ポストプレイも上手くなってない?」となって、代表に呼ばれるまでになった。



だから、こんな俺でも我那覇の成長を見てきたつもりだ。
ジュニ不在の試合でPKを決めた時なんて、「ああ、とうとうここまで来たか」と感慨深かったものだ。



我那覇のプレイで一番思い出すのは、フロンターレの試合ではなく、実は日本代表での試合である。
2007年アジア杯最終予選のホーム・サウジアラビア戦、2006年11月15日、札幌ドームでの試合だ。



右からの今野のクロスを、巻の前にスルッと入り込んでのヘディングシュート。
左からの駒野のグラウンダーのクロスを、加持が潰れた後ろから華麗にシュート。
テレビの前で狂喜乱舞した。
我那覇は日本が誇るストライカーであると確信した。



その後はみなさんご存知の通り、ドーピング疑惑(冤罪)があった。



私も、Jリーグ選手会主催の募金をした。
ちんすこうも何箱も買った。
新城さん、我那覇会のみなさん、川崎華族のみなさん、その他募金活動に協力したみなさん、私はみなさんの活動を素晴らしく正しいものだと信じる。
今後2度とこのようなことは無いと思うが、万が一同様のことがあっても、私は同じように、いやそれ以上に活動に賛同し協力する。



一方、我那覇本人はというと、Jリーグからの理不尽な出場停止、その後の怪我もあって、試合勘と調子を崩していった。
裁判の煩雑で長期に渡る手続き、マスコミからの取材という圧力、噂の流布、応援する人々へ報いたいという思い、でも出来ないという現実。
本当に辛かったと思う。慮ることしか出来ないが。



今年の前半、復帰した我那覇は出場すると必ずゴールするという活躍を見せた。
何度もチームの危機を救ってくれた。
さすが我那覇だやってくれる男だと、俺たちは涙した。



もう、俺は十分報いてもらったと思うよ。



募金しろと言われれば何度だってやってやる。
俺たちがどれだけ我那覇和樹を好きか分かってると思う。
でも、そんな俺たちの思いは、我那覇和樹という人間にとって重すぎやしないか?
フロンターレというチームは家族みたいで思い入れも思い出も沢山あるだろう。
でも、その分、辛い思い出や悲しい思い出が多すぎて、身動きとれなくなってやしないか?



我那覇和樹という人間にとって「フロンターレでサッカーをする」ということが
義務や債務みたいに感じられるようになってやしないか、
それだけが心配だ。
勝手な老婆心で心配しているだけなんで、考えすぎなのかもしれないが。



もしそうだとしたら、そういうものを全部脱ぎ捨てて、
新天地で己の技術と気持ちだけで勝負することは、
フットボーラー「我那覇和樹」にとって良いことかもしれない、と私は思う。



フロントも、そういう気持ちを込めての「0円提示」なのだ、と私は思う。



なにもかも見当外れで、考え方がぬるすぎる、と言われてしまうかもしれないが。



もちろん寂しい。でも、必ず我那覇和樹は来年のJ1の舞台で活躍するだろう。
少なからずその後押しをしたということは、俺たちにとって嬉しいことじゃないだろうか。



でも、恩返しゴールだけは勘弁な!!



0 件のコメント:

コメントを投稿